二度目の『緊急事態宣言』に際して

通称“新型コロナ・ウイルス”こと、『武漢ウィルス・パンデミック』第二幕が去年の暮辺りから騒がれてだして、年明けには二度目の『緊急事態宣言』の発令と相成りました。

最初の発令は安倍前政権が。

今回は菅政権下での発令、そしてウィルスが変異して凶暴⁈になっているなど、昨年と背景の違いはあるものの、さてこのパンデミックにどの様に対応すべきかを正月気分の抜けきらない、緩い頭で考えようとしていたところ、昨年のパンデミック初期のころアップした当ブログの原稿を見つけました。

昨年、8月にアカウントを乗っ取られて、当ブログのデータも全部削除してしまったので、ご記憶のある人など稀で、殆どの方は初見であると思うのでそのまま上げさせて頂きます。

昨年と今年の状況の違いはあるものの、考え付く事は対して変わっていないと思われます。

皆様はどの様にお感じになられますでしょうか?

以下は昨年の原稿です。

「武漢」Virus crisis

政府がやっと重い腰を上げて『緊急事態宣言』を発令して「新型コロナ・ウイルス」問題も新しい展開に入りました。

思えば、最初に海外のメディアが「中国武漢市で“新型ウイルス”の感染が発見されたらしい。」と騒ぎだしたのが昨年の11月頃で、日本のメディアで報道され、広く国民の目に触れる様になったのは年末の押し迫った頃だったと思います。

年が明けると「WHO発表」が目立ち始め、やっと厚生労働省の発表「中華人民共和国湖北省武漢市における新型コロナウイルス関連肺炎について」として報じられたのは1月22日です。

そして、2月に入り、香港の感染者を乗せたがプリンセスクルーズ号が横浜港に入港したあたりから日本国内の「武漢ウイルス騒動」が本格的に始まりました。

ここを“フェーズ1”とすると、その間小中高等学校の休校や北海道知事の「緊急事態宣言」などもありましたが、今回政府の『緊急事態宣言』を以て“フェーズ2”に突入したと言えるのではないでしょうか。

“フェーズ2”に入り、「ぽっとまむ」として“酒まんじゅう”の販売はどうすべきか?

「ぽっと一息お届け隊」の営業活動を自粛の中でどうするか?

その先の資金繰りは……

と、「ぽっと一息お届け隊隊長」として人並みに悩みはあるのですが、
私には、それ以上に深く頭の奥で湧き上がる不安があります。

それは「ポスト・コロナ・ウイルス禍」です。

まだこの「武漢ウイルス」がいつまで続くのか?

その収の目度は?

その見通しが霧の中の状況だというのに、「ポスト・コロナ・ウイルス禍」などとお前は何を言っているんだ!

と思われることでしょう。

実は、私はこの「新型コロナ・ウイルス感染」騒動は、短期的には問題・課題の解決まで、越えなければならない“山”は今後、幾つも重なり、その“難易度”は高いものの、

こと我が国に於いては、高い技術をもち、献身的に自らを顧みず、目の前のリスクに立ち向かって頂ける医療従事者の皆さんや自衛隊員も含めたその関連の方々の存在。

そして、その努力を理解し、感謝できる日本国民の民度からして、この『緊急事態宣言』を契機に潮目は変わり、中期的には収束の方向に向かっていくと思っています。

そのこと以上に大きく変わる潮目は、アメリカを始め西側各国の中国に対する『依存度』です。

市場としての『中国依存』

世界の工場”、供給基地としての『中国依存』

アメリカと並ぶ超大国としての『中国依存』

(アメリカの立場からすると、パートナーとしての『中国依存』)

これら、アメリカとECや日本などの西側陣営と中国との“摩擦熱”が、単なる資本主義と社会主義の違いやイデオロギーの違いでは片付けられない、
「疑問」や「不安」が西側陣営のみならず世界の『リスク』に変わりつつある。

いや、既に『リスク』そのものであるという共通の認識になりつつあるということです。

それは、奇しくも「感染予防」「感染対策」の必需品である“マスク”や“防御服”の供給の大部分を中国に頼っていたことが、
医療現場に供給不足による混乱を招き、更に「パンデミック」の不安を増幅させる事となってしまいました。

それは、自動車生産や衣料品供給等の効率的なサプライチェーンに於いて、
従来想定していた災害時リスク以外の「危機管理」上のリスクとして、
中国に於ける、サプライチェーン再構築が重要な課題として認識させられたのでした。

しかし、このことだけであれば供給システムを再考すれば済むことです。

ことをそれだけで終わらせられない『リスク』と捉えざるを得ない深刻な“事象”が現れたのです。

昨年11月の段階でアメリカや台湾を始め中華圏の一部メディアは、

“中国湖北省の武漢市で「新型のウイルス」の感染が確認されたようだ!”と報じていたにも関わらず、

中国共産党の発表は1か月遅れ、挙句にWHOをも巻き込み事の重大さを矮小化したり、

隠蔽操作ともとれる、

(勿論中国共産党政府は認めていない)

不誠実な報道姿勢のことであります。

この様な、中国の作為、不作為を別にしても、

初動の不手際で世界中に「コロナ・ウイルス禍」を広めた道義的な責任すらも認めず、

謝罪の言葉も無い姿勢に対してアメリカは勿論、

今まで中国との関わりが深いと言われていた、ドイツやイタリア、スペインそしてイギリスまでもが、

公然と非難を表明するようになりました。

そして、アメリカやイギリスは中国に対して損害賠償訴訟を起こす段取りに掛かり始めました。

とかく、中国に対して発言のトーンが低く対応の腰が重いと言われている日本政府も、

サプライチェーンの見直しを企業に求めて、国内回帰やその他の友好的(親日的?)新興国への移転を積極的に支援する方針を打ち出しました。

このことは、「コロナ・ウイルス禍」を自然災害に対しての国際社会の対応とは違う、
まるで「戦後賠償」を求める”連合国”側の対応の様です。

今回の「コロナ・ウイルス禍」でクローズアップされたのは、各国の「危機対応」です。

「新型ウイルス」の感染が表面化した時点で“問題国”“問題地域”からの入国制限や“問題国”“問題地域”への渡航制限を実施した、アメリカや台湾、シンガポール。

(実は北朝鮮も)

湖北省(武漢市)からの制限はしたものの、最後まで中国全土からの入国禁止処置の決定に時間が掛かった(掛けた)日本

「国家非常事態宣言」や「ロックダウン(都市封鎖)」という強権力を背景に実施する国と、

“要請”を基本とした「緊急事態宣言」をやっと発令した日本。

これには、概ね「感染」の爆発的を防ぐために、そしてより早い収束を目指すために

“スピード”を最優先にする考え方と、

出来るだけ、より多くの安全(この場合は最少の死者数)を目指す考え方に違いがあると思われます。

ことの良し悪しは、この「コロナ・ウイルス禍」が収束した後、専門家先生方の評価に任せましょう。

ここで言えることは、

“国家”や“公共の福祉”が“私権”に優先する日本以外の国と、

“公共の福祉”と“私権”がイコールで“国家”の意識が希薄な日本との違いです。

これについては、突き詰めると「憲法9条、22条」の問題にまで踏み入れなければならなくなるので、ここでは触れないこととします。

「コロナ・ウイルス禍」後では「サプライチェーン」の再構築が急務と言われています。

中国国内の日本企業から部品供給が滞ることによって、日本国内(或いは中国以外の日本企業)工場の操業が停止する。

或いは半減する事態という、自然災害以外の『リスク』が図らずも顕在化しました。

特に、日本のお家芸の「ジャストインタイム」が“無力化”させられた、想定外の事態に対するショックは今後ジワジワとボディブローの様に効いてくると思われます。

これらとは別に、私の脳裏にもくもくと湧き上がって来ている黒雲は、“フェーズ1”の一番の恐怖は『医療崩壊』でした。(まだ戦いの最中ですが!)

しかし“フェーズ2”の得体の知れない恐怖は、『食糧サプライチェーンの崩壊』です。

今騒がれている“サプライチェーンの見直し”は、自動車や家電、衣料品等のコモディティ(一部耐久消費財も)の供給基地を中国や人件費の安い新興国に移した、“ジャストインタイム”を基本にした製造業のビジネスモデルのことです。

国家、国境の「壁」を取り払い、「ヒト」「モノ」「カネ」の行き来が自由で、そこに「情報」と「価値観」を共有することで、まさに『グローバル化』した世界的ネットワークを構築されて来たわけですが、

中国は経済的発展が進み、GNPで日本を追い抜き、アメリカについで世界第2位となった頃からプレゼンスが増してきて、2014年に『一対一路構想』を、2015年は『中国製造2025』を打ち出してきました。

それに対し2017年1月のアメリカ、トランプ大統領の就任演説で『アメリカン・ファースト』を打ち出したことは、今となって思えば中国を意識したものだと考えざるを得ません。

当初、トランプ大統領が中国との貿易赤字を問題視して、強引とも言える「関税引き上げ」は今思えばジャブに過ぎず、その後繰り出されるパンチの数々はトランプ大統領の中国包囲網の戦略に裏付けられたものであると言えるのではないでしょうか!?

「通商問題」が「貿易問題」に代わり、「貿易紛争」が「貿易戦争」と言われ出した矢先のこの「コロナ・ウィルス禍」なのです。

思えば、1970年代の日米通商摩擦の際にアメリカの自動車生産の総本山デトロイトで、日本車の象徴トヨタ「カローラ」がアメリカの自動車生産労働者によって、大ハンマーで叩き壊されたシーンから始まり、

1997年にタイのバーツ切り上げに端を発した、アジア通貨危機の際に我が国はアメリカと共にアジア各国に金融支援を行いました。

そこでの成果を踏まえ、この様な金融危機の際にアジア各国間で国際的な通貨基金構想を当時の宮澤喜一蔵相が提唱した新宮澤構想「アジア通貨基金AMF」が、

自身のその存在意義が弱まる事を恐れたIMFと、

アジアでの日本のプレゼンスが高まること、

その結果、基軸通貨「ドル」を脅かすことになる、

「円」の台頭を快く思わないアメリカの反対に依って頓挫した一連の流れが思い起こされます。

トヨタ「カローラ」を、「5G」「ファーウェイ」に置き換え、

「アジア通貨基金AMF」を「一帯一路」に置き換えてみると、一連のストーリーが相似形になってくると思います。

ここで前作のストーリーとはっきり違うのは、

「日米」は“摩擦”“紛争”の域に留まり、

その後“羹に懲りてあえ物を吹く”の如く、二度と“虎の尾を踏ま”ない様に細心の注意を払って来た(今でも)日本に対し、

“空気を読む”ことができないのか、

「中華思想」のDNAがそうさせるのか、

実際は共産党独裁政権の硬直化した、

(ある意味、日本の官僚機構と同じ)

思考回路故と思われますが、

習近平政権は“トラの尾を踏む”どころか、

まさに、正面から“虎ンプ大統領の横っ面”を張ってしまった訳です。

ここでもう一つの側面は、

「米中」二国間の「紛争」が、世界秩序“レジューム”が替わる『覇権争い』へと、

その“潮目が変わる”最中に起きた「コロナ・ウィルス禍」は、

国家ぐるみで、且つ、国際機関であるWHOまでも巻き込む「隠蔽工作」という、およそ“共通の価値観”を持ち合わせない“離れ業”で、

中国以外の国にとって“「武漢」Virus crisis”から“China crisis!”へと認識を変えてしまったのではないかことです。

日本にとって、「ポスト・コロナ・ウィルス禍」が単なる「パンデミック」の後処理問題で済まされない「国難」と言わざるを得ないのは、

台風の目である中国は世界一の食糧輸入国であります。

それに加え、我が国の食糧自給率は37%(カロリーベース)です。

しかも、その中国に農産品等の食糧もかなりの部分を依存しています。

この「武漢ウィルス」で中国は工場の生産も制限されましたが、農村部も例外ではなく、

いまだに秋の向けて耕作準備にも掛かれず、来年は深刻な食糧不足が予想されています。

早速、ベトナムやタイのように米の輸出禁止を打ち出している国もあります。

恐らく、「ポスト・コロナウィルス禍」に直面するのは「通貨問題」と「食糧のインフレ問題」になることは間違いないと思われます。

「世界大戦」と「世界恐慌」を合わせた様な状況下で予想される『食糧サプライチェーンの崩壊』は、食糧を海外からの輸入に頼っている我が国にとって「石油危機」以上に「食糧安保リスク」という、

まさに、「国家」の存亡に直結する「国難」であります。

この様に、尖閣問題等「地政学リスク」もさることながら、

そこに「食糧安保リスク」も加わり、

まさに、「国家」の存亡に直結する『緊急事態宣言発令!!』と思われる状況にあって、

「危機対応」はスピード優先と考える他国との我が国の違いは、

「危機意識」と「当事者意識」の違いにあるとしか思えず、

私の脳裏にもくもくと湧き上がって来ている黒雲の黒さが更に増してきて、

私にとっては、“「武漢」Virus crisis”ではなく、

まさしく、“China crisis!”であります。

いかがだったでしょうか。

今年は、明日(1月20日)アメリカで大統領が代わる!?様です。

まだ混迷は続くのでしょうか?

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